2023年3月31日 12:00

猛威をふるった熊本豪雨から1000日が経過|復興を続ける人吉球磨地域の「老舗旅館」と名産「球磨焼酎酒蔵」の魅力

水害と向き合い「球磨川」の恵みと共に生き続ける

熊本県を中心に発生した豪雨災害(令和2年7月豪雨)から2023年3月30日で1000日が経過しました。今回は地元の観光資源である老舗温泉旅館「翠嵐楼」、名産品である球磨焼酎の酒蔵「繊月酒造」「大和一酒造」への取材を通して、活気を取り戻しつつある“人吉球磨地域の今”をお伝えするとともに、その魅力をご紹介していきます。

●当時の状況
2020年7月3日の夜半前から県南部を中心に線状降水帯が形成され、1日で7月約1か月分の降水量となりました。
さらに、7月4日朝方にかけての12時間降水量は県南9地点で観測史上1位を記録。降り続いた豪雨により球磨川が氾濫し、甚大な被害をもたらしました。

特に球磨川沿いの人吉球磨地域では、道路の堤防決壊・橋梁の流失、住宅の浸水、家屋倒壊など、深刻な影響を受けました。

甚大な被害を受けながらも、現在では球磨川の水害と向き合い、球磨川がもたらす自然の恵みと共に生きていくことを選んだ地元の方々が復興に向けて前を向き着実に歩みを進めています。

人吉温泉発祥の老舗旅館 「翠嵐楼」

 【心機一転「和モダン」をコンセプトにリニューアル!2月から全面営業再開】

球磨川沿いに位置する創業112年の老舗旅館「翠嵐楼」。複数の自家源泉を持ち、源泉100%かけ流しの温泉や、地産地消にこだわった色とりどりのお料理と共にゆったりとしたおもてなしを体感できる温泉旅館です。
当旅館も豪雨災害により2メートル以上の床上浸水被害を受け約2年半もの休業を余儀なくされました。地道な復興の道のりを乗り越え、全館リニューアルの末に2023年2月に心機一転リニューアルオープン。
今回は翠嵐楼社長川野さんにお話を伺います。

  • ●災害から復興までの道のり

私は過去2回水害を経験しておりまして、ある程度の覚悟はありましたが、令和2年7月豪雨では水の勢いが想像を超えていきました。気象情報のレーダーを見て上流で異例の雨が降っているのを知ったとき、身体が震えたことを覚えています。
やがて大雨洪水警報が発令され、球磨川の水位が堤防を1.5m越えて氾濫。球磨川沿いに位置する翠嵐楼の館内では最大で床上浸水2.3メートルとなり1階の木造宴会場、客室は全壊し、半地下の温泉施設は天井まで浸水してしまいました。当然営業をそのまま継続することは難しく、長期の休業を余儀なくされました。現在は一部を除いて建物の復旧はほぼ完了し、豪雨災害からおよそ2年7ヶ月が経った2023年2月1日に全面営業を再開することができました。
復旧に向けて改装を進める中でちょうどウクライナ問題や円安によって予算が上がり、当初想定していたデザインや内装にさまざまな変更をすることとなったため、その調整が非常に難しかったです。

●人吉温泉の歴史と魅力
翠嵐楼の初代当主が明治43年(1910年)にこの地で初めて温泉の発掘に成功、最初の温泉旅館としてこの地に初めて開業しました。
当時は「上総掘り」という、竹ひごを繋いで地下の温泉へと掘り下げる技術で温泉を発掘していました。翠嵐楼創業からしばらくして、球磨川の砂地が掘りやすいことや技術が発達してきたことから、昭和の初期頃から川沿いに温泉地がたくさんできました。良質な泉源に恵まれた人吉温泉は美人の湯とも言われています。
観光の面では、球磨川の雄大な景観でリラックスできること、球磨川下りができることが魅力です。

展望露天風呂 男風呂(翠嵐楼HPより)

●リニューアルした「翠嵐楼」の魅力
これまでは人吉温泉発祥の宿として歴史と伝統を重んじてきました。
今後はコロナ対策、SDGs、インバウンドなどの背景もふまえて、これまで培ってきたものを活かしながら新しい取り組みが必要と考えています。
今回のリニューアルでは「和モダンの設(しつら)え」をコンセプトに全館をリニューアルしました。球磨川を眺める27の客室や大浴場、露天風呂を備えています。創業当初の明治43年から変わらない湯口を通って湧き出る「美人の湯」に浸かりながら、人吉の雄大な自然の中で寛いでいただけたらと思います。
また、これまでの大きい宴会場をやめて、お客様の需要に合わせゆったりお過ごしいただける個々のお食事処を作り、地元の厳選食材を使用した料理でお客様をお迎えいたします。おかげさまで現在は沢山のご予約が集まっています。

ラグジュアリー和洋室(翠嵐楼HPより)

●未来に向けて
豪雨災害で失ったものはたくさんありますが、ポジティブな面で新たにパワーアップしたものが多く存在します。翠嵐楼は新しい宿として心機一転開業いたしました。人吉球磨地域の観光資源に関わる個々の事業者や行政と連携してほかの観光地とは異なる魅力をアピールしていきたいと考えています。
ただ、一つ願いを言うなれば…もう豪雨は勘弁してほしいですね。

  • ●お話を伺った方

旅館 翠嵐楼 代表取締役社長 川野 精一さん

創業120年を迎える、地元でも人気の酒蔵 「繊月酒造」 

 【災害を乗り越え、人吉から米焼酎を日本全国・世界へ発信する】

熊本県のなかでも有数の米どころである人吉で500年以上の歴史を誇る“球磨焼酎”。「繊月酒造」は古くから球磨焼酎の発展に貢献した酒蔵で、地元でもシェアが高い人気の老舗酒造として今年120年周年を迎えます。
米焼酎一筋で約30銘柄を揃え、50年以上前の古酒や米国とのコラボ銘柄など幅広く展開しています。
豪雨災害では球磨川沿いに位置していることから、酒蔵内にも氾濫した水や土砂が流れ込み、多くの被害を受けました。今回は復興や球磨焼酎の魅力、今後の展望について、4代目社長の堤純子さんに取材いたしました。

●災害から復興までの道のり
氾濫した球磨川の水が敷地内に侵入し、約1メートルの床上浸水、深い場所では地面から2メートルの浸水となる場所もありました。繊月酒造120年の歴史の中で水に浸かったのは初めてのことです。蔵の土甕の一部が浸水。さらに、瓶詰めされた商品が4万本ほど流されてしまい、半年くらいはほぼ出荷一時停止状態に陥りました。
被災した日から最初の一ヶ月は従業員総出で泥出し作業に終始。社外からも県内のボランティアや、取引先など関係者の方々も応援に駆けつけてくれました。おかげさまで半年後には受注した製品を製造し販売することができるようになり、現在では酒蔵を完全に復旧することができました。
被災したことは不幸な出来事ですが、これまで関係を築いてきた周りの方々や繊月酒造を気にかけてくれる方々との団結力が表面化してすぐ復興することができました。たくさんの方が繊月酒造を気にかけてくださっていることを肌で感じることができ、その点ではポジティブに捉えています。

●球磨焼酎の魅力
球磨焼酎は人吉球磨地域の水を使い、国産米を使用してこの地域で製造、ボトリングされた焼酎のことです。米焼酎の酒蔵が昔から根付いている理由は、きれいな水が流れ、お米の生産地という、人吉の自然環境にあります。
芋や麦のほうが安価に作りやすいこともあり芋焼酎や麦焼酎の方が日本に広く普及していきましたが、実は焼酎の発祥は米焼酎が始まりと言われており、きれいな水とおいしい米がある人吉では古くから現在にかけて米焼酎の製造が盛んです。
繊月酒造ではステンレスタンクでの貯蔵だけではなく様々な手法を取り入れています。例えば、最低6年以上寝かせ、樫の木の樽で香りと色味が焼酎に現れる「樽貯蔵」。通常、中古の樽を使用する場合もありますが、繊月酒造では新しい樽を使用しており、焼酎と樽が持つ本来の風味や味わいを引き出すことにこだわっています。
また、古くから伝わる「土甕貯蔵」では、半分地面に埋めた土甕に焼酎を寝かせることにより遠赤外線効果で熟成してまろやかになります。古酒で最も古いものでは50年以上前のものがあります。

「樽」と「土甕」(見本)

繊月酒造では、安心して納得した上で買って欲しいという思いから無料の酒蔵見学を実施しております。酒蔵に入ると米を蒸す独特の香りもあり、酒造りの臨場感を感じていただけると思います。
見学後には蔵限定商品を含めた約30種のバリエーション豊富な銘柄を取り揃える「繊月城見蔵」の中で無料の試飲もしながらゆっくりお買い物をお楽しみいただけます。

繊月城見蔵

●未来に向けて
日本で水質が最も良好な河川(※2)に選ばれた球磨川水系「川辺川」の水を使用した銘柄「川辺」を中心に、まだ認知が高くない米焼酎を全国に展開していきたいです。
いずれは海外にも進出して世界の蒸留酒のスタンダードにしたいです。
今存在する球磨焼酎の伝統を世間に伝えながら酒蔵としてさらに発展していくと共に、災害を乗り越えた人吉の地域にも貢献していきたいと思っています。

銘柄 「川辺」 (繊月酒造HPより)

※2:出典:「全国一級河川の水質調査」(国土交通省) https://www.mlit.go.jp/report/press/mizukokudo04_hh_000186.html

●お話を伺った方
繊月酒造株式会社 代表取締役社長 堤 純子さん

独自の発想で唯一無二の焼酎造りを続ける酒蔵 「大和一酒造」

 【球磨川と共に生き続ける酒蔵へ、被災1000日後にリニューアルオープン】

1898年(明治31年)に創業された、人吉でも歴史ある酒蔵のひとつである大和一酒造。2010年から地元で教員として働いていた下田文仁さんが代表に就任。敷地内の温泉を使った「温泉焼酎」や地元特産の牛乳を使用した「牛乳焼酎」など、自由な発送でバラエティ豊かな銘柄を6種類ほど製造・販売しています。
そんな大和一酒造も豪雨災害で3メートルを超える浸水により、深刻なダメージを受けました。製造・販売も停止せざるを得ない逆境の中、柔軟な発想から球磨川の天然酵母を素とする「球磨川」という銘柄が生まれました。
今回は代表の下田文仁さんに復興と未来への展望についてお伺いしました。

●災害当時の被害
昭和40年に人吉で起こった水害の記憶があったので、せめて床下浸水程度かと思っていました。でも実際は想像を大きく超える氾濫によって製造所や貯蔵倉庫は約3メートルの浸水、貯蔵タンクや甕などが倒壊して80%くらいの原酒がダメになってしまった。片付けるだけで3年はかかってしまう。一時は廃業を覚悟しました。

被災当時の酒蔵 (大和一酒造HPより)

●復興の道のり
被災した直後から蔵元仲間や教員時代の元同僚、当時の生徒などが集まって復旧を手伝ってくれました。はじめは真っ暗なトンネルの中にいましたが、周りの知人や友人の助けによって、少しずつ明かりが見えてきました。
被災後の7月は敷地内に散乱した土砂などの「片付け」で手一杯でしたが、8月には浸水したボトルを売ってほしいとのお声をいただいたことから、生き残った2割の貯蔵をクラウドファンディングの支援を通して「一時的な販売」を行うことができました。
9月から原酒を作るため一次仕込み「麴室づくり」を開始。そして、翌年4月には何とか以前のように販売できるまでになりました。
おかげさまで現在では製造・出荷の過程がほぼ復旧した状態です。

●銘柄「球磨川」について
豪雨によって球磨川が悪者になっていました。そこで、被災した翌月には「球磨川」と名称を付けた商品を作って我々の球磨川に対する感謝の意を伝えたいと考え始めました。
ただ、被災後の状況としては氾濫によって麹室が崩壊し、蔵付き酵母菌や麹菌などが流されてゼロの状態です。そこで考えたのが球磨川の土砂が新たに運んできた天然酵母=球磨川酵母を活用することでした。酒蔵の中に新しく棲み付いた球磨川酵母をもとに自然の力で焼酎を作る、明治期以前の製法への挑戦です。
玄米の麹を増やすのは難しい取り組みでしたが、2022年7月から酵母無添加 自然発酵玄米焼酎「球磨川」の販売を開始することができました。「球磨川」は常圧蒸留の焼酎を飲み慣れていない方からすると個性があって、女性でも飲みやすい、自然で優しい味わいだと思います。

銘柄「球磨川」(大和一酒造HPより)

●球磨焼酎を楽しく学べる、酒蔵のリニューアルオープン
街が “更地化”してしまい普段の生活も変わってしまった。地元の観光業界も完全には復旧していません。今後は観光分野においても、酒蔵としてもやれることをやるしかないと思っています。
大和一酒造では「酒蔵見学」「お買い物」「球磨焼酎や水害の学習」ができる場所を酒蔵の中に新設します。
球磨焼酎のことを楽しく知っていただき、販売所で気に入った銘柄を買っていただくという体験価値を提供していきたいと思い、立ち上げました。球磨焼酎の面白さを感じていただくだけでなく、ここで災害の歴史も知るきっかけにしてほしいです。
見学室のデザインは元教員であったことから昔ながらの教室仕立てにしており、最新のプロジェクターを完備しています。ちょうど豪雨災害から1,000日となる2023年3月30日にオープンしました。ぜひ多くの方に足を運んでほしいですね。

 酒蔵見学(麹室)


酒蔵内の教室

●お話を伺った方
合資会社 大和一酒造元 代表社員 下田 文仁さん