認知症の人が自分らしく生きる社会に

高齢化の進展に伴い、認知症の人が増加している。 いまの社会に認知症の人が自分らしく暮らし続けられる準備は整っているだろうか。 早急の取り組みが求められている。 何が必要か議論する。

 

公益財団法人NIRA総合研究開発機構(代表理事会長 牛尾治朗)は、学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から政策提言を行うシンクタンク。高齢化に伴い、認知症の人の一層の増加が見込まれる中、いま、何をすべきか議論する。

 

企画に当たって

認知症の人が自分らしく生きる社会に―当事者の尊厳が保たれる社会のあり方とは

翁 百合  NIRA総合研究開発機構 理事/日本総合研究所 理事長

二〇二五年、団塊の世代がすべて後期高齢者になり、日本にいよいよ超高齢社会が到来する。この年の認知症患者は七〇〇万人程度との予想であるが、その後、後期高齢者が増えるため、その人数は急増する見込みである。認知症の人たちへの適切な対応を社会として考えていかなければ、本人の生活の質が低下してしまいかねないほか、その家族の働き方にも影響を及ぼす懸念がある。社会や経済への影響も大きく、課題は山積している。

治療薬の開発は難しいとされてきたが、治療薬が出現する可能性が出てきていることが、本号の識者からも指摘された。認知症の治療薬の開発は、今後の高齢社会にとって優先度の高い取り組みであり、これを政策的にもサポートすることが求められる。

認知症の人が保有する金融資産は一〇〇兆円を超え、これが動かなくなってしまうことは日本経済にとっても大きな損失である。識者の一人が紹介する、認知症の人がパスワードなどを忘れてしまっても、音声認識で口座を保護できるといったイギリスの銀行の取り組みは、示唆に富む。技術革新は、認知症の当事者やその介護をする人たちの、さまざまな課題を解決するためのカギになる。

先進国では認知症の人と共生する社会を目指す動きが近年広がりをみせている。高齢者の主体的な意思や希望が尊重される社会を目指すべきという識者からの提言は、認知症の人と共生する社会を作るための基本だ。識者の一人が運営するサービス付き高齢者向け住宅では、希望する人は自立を志向し、仕事をしており、生き生きと生活を送っている。介護の報酬体系を自立支援型にしていくべきとの意見は、既に指摘されて久しい。現場からのこうした提言を政府は重く受け止めるべきであろう。

翁 百合  NIRA総合研究開発機構 理事/日本総合研究所 理事長

識者に問う

認知症や周囲の人びとが抱える課題は何か。
当事者が尊厳をもって暮らしていくために、何が必要か。

 

「認知症の予防治療に取り組む」

岩坪 威 東京大学大学院医学系研究科 教授

アルツハイマー病は、老化によって、病因となるタンパク質が脳に蓄積することが、発症の引き金となる。認知機能の障害が始まる前に、病因タンパク質を除去する「予防治療」の開発に取り組んでいる。

岩坪 威 東京大学大学院医学系研究科 教授

 

 

「あなたは一人ではない」

ペールエリック・ヘーグべリ 駐日スウェーデン王国 特命全権大使

スウェーデンの「Dementia Forum X」は、は認知症をテーマにした民間の会議だ。王室をはじめ、社会のロールモデルとなる多様な人びとが関与することで、認知症に対する社会の意識を変える原動力となっている。

ペールエリック・ヘーグべリ 駐日スウェーデン王国 特命全権大使

 

「金融をはじめとした社会制度を、認知症フレンドリーに」

駒村康平 慶應義塾大学経済研究所 ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センター長

認知症が重度に進んだ人には、成年後見人制度が用意されているが、認知症かどうか本人も周囲もはっきり分からないというグレーゾーン期の人への支援が、抜け落ちている。

駒村康平 慶應義塾大学経済研究所 ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センター長

 

「「ユマニチュード」と「ケアコチ」で、質の高い認知症ケアの担い手を増やす」

前川智明 株式会社エクサウィザーズ Care Tech部長

認知症の介護を自己流で行っても、結果が伴わないことがある。質の高い「型」を知ることで、ときに驚くほどの効果を上げることができる。テクノロジーを活用し、より良い介護のやり方を教示するプラットフォームを提供する。

前川智明 株式会社エクサウィザーズ Care Tech部長

 

 

「認知症のある方に教えてもらう社会」

下河原忠道 株式会社シルバーウッド 代表取締役

認知症になっても、やれることはたくさんある。大事なのは、認知症による失敗を許容する「寛容性」を社会の側が手に入れることだ。認知症の人が失敗をしないよう合理的な配慮をすることが、私たちの役割である。  

下河原忠道 株式会社シルバーウッド 代表取締役

 

5人の識者の意見 認知症の人が自分らしく暮らし続けられるために何が必要か 寛容でフレンドリーな社会へ変革する 社会の意識 認知症を「人生の自然」と受け止める社会にする 王室など社会のロールモデルの人の参画 家族 主体的な意思や希望を尊重 合理的な配慮をしつつ失敗を許容する 医療 発症前の予防治療を実施 認知症予備群を把握 法律・制度 認知症でも困らない工夫 グレーゾーン期の金融支援を追加 音声認識で口座を保護 自立を促す介護保険 介護 「型」に則した質の高いケア ユマニチュードの指導をアプリで実施

 

データで見る 認知症の人が自分らしく生きる社会に

年齢別に見た認知症の有病率(2012 年時点)

 

 二〇二五年には、国内の認知症の患者数は七三〇万人に増加すると推計されている。認知症を予防できる未来の実現に向けて、全力を尽くしたい。(岩坪氏)」

「 現在、七五歳以上の四人に一人が認知症と推計されている。日本における家計の資産残高の二五%は、七五歳以上の高齢者が保有しており、単純に計算すると、認知症の方の保有している資産額は一〇〇兆円を超えるとみられる。(駒村氏)」

 

65 歳以上人口の約4 人に1 人は認知症または軽度認知障害(MCI)
約7 人に1 人は認知症
※前者は2012 年時点、後者は2018 年時点の数字

年齢別に見た認知症の有病率(2012 年時点)

出所) 厚生労働省老健局(2019)「認知症施策の総合的な推進について」(社会保障審議会介護保険部会令和元年6 月20 日配付資料)

 

アルツハイマー病が発症するまでの経過

 

「認知症の多くを占めるアルツハイマー病を発症する最大のリスクは、脳の老化だ。(岩坪氏)」

「私が着目しているのは、「予防治療」だ。アミロイドβの蓄積が始まっても、一〇~一五年ぐらいは認知機能の障害は出ない。この時期に、投薬などの方法でアミロイドβの蓄積にブレーキをかけられれば、危機的なレベルまで神経細胞の減少が進んでしまうのを遅らせ、予防がある程度成功することになる。(岩坪氏)」

 

アルツハイマー病は、脳が老化するにつれて、病因タンパク質「アミロイドβ」が脳に蓄積することで発症する。アミロイドβが脳に蓄積すると、神経細胞が死んでいき、脳が萎縮してしまう。そこで、発症前にアミロイドβを投薬で除去しようとする「予防治療」に注目が集まっている。

アルツハイマー病が発症するまでの経過

出所) Jack CR Jr, Knopman DS, Jagust WJ, Shaw LM, Aisen PS, Weiner MW, Petersen RC & Trojanowski JQ. (2010)“Hypothetical model of dynamic biomarkers of the Alzheimer’s pathological cascade,” Lancet Neurol

 

差別を受けたと答えた人の割合:認知症患者、家族、ケアワーカーに聞く

 

「認知症になったら社会から姿を消し、あとは家族の問題となるという状況が依然としてあるならば、変えていかねばならない。(ヘーグべリ氏)」

「認知症というと、正しい知識のない人は、脳の萎縮が進行した重度と呼ばれる症状だけを連想してしまう。そして、世の中も家族も、その人を「認知症の人」としか見なくなる。財布を持つな、外出もするな、とできることでもどんどん先回りして奪ってしまう。しかし、多くの当事者はやれることもたくさんあるし、楽しく人生を送ることができる。(下河原氏)」

 

差別を受けたと答えた人の割合:認知症患者、家族、ケアワーカーに聞く

注) 認知症患者、その家族、ケアワーカーを含む7 万人(155 か国)に対して行われたアンケート調査のうち、認知症患者に対し、差別を受けたと感じる場面を尋ねた調査結果。複数回答可能で、全回答者1446 名に占める回答数の割合を示す。世界銀行が定める所得グループ別に集計。ここでは、3 グループの合計%が最も高かった上位5 つの項目を取り上げている。
出所) Alzheimer’s Disease International( 2019)”World Alzheimer Report 2019: Attitudes to Dementia”

 

ユマニチュードの効果測定

 

「多くの場合、介護の現場は多忙で、ケアスキルの向上などにあまり時間を充てることができず、自己流でケアをしているものの、結果が伴わないこともままある。「型」を知ることで、ときに驚くほどの効果を上げることができる。(前川氏)」

 

ユマニチュードは、「見る」「話す」「触る」などの行為を通じて「あなたは私にとって大切な存在です」と伝えるケア手法。急性期病院に搬入されたアルツハイマー病の患者3 名に対して、ユマニチュードケアを実施したところ、それまでの患者の攻撃的な行動はほぼなくなり、ケアが受け入れられた。

ユマニチュードの効果測定

注) 専門家のモニタリングが動画で行われた。「ケアの拒否」は専門家が判断した。なお、「攻撃的な行動」は、叫んだり四肢を激しく動かしたりすること。また、「見る」「話す」「触れる」時間を合計しても、「ケアの時間」にはならない。
出所) Honda M, Ito M, Ishikawa S, Takebayashi Y & Tierney L Jr (2016) “Reduction of Behavioral Psychological Symptoms of Dementia by Multimodal Comprehensive Care for Vulnerable Geriatric Patients in an Acute Care Hospital: A Case Series,” Hindawi Publishing Corporation Case Reports in Medici

 

識者紹介

岩坪 威 東京大学大学院医学系研究科 教授

アルツハイマー病とパーキンソン病の発症メカニズムの解明、根本的治療薬の創出を研究する。医学博士。東京大学医学部卒業。東京大学神経内科入局。東京大学大学院薬学系研究科教授を経て、二〇〇七年より現職。二〇一一年からは東京大学医学部附属病院 早期・探索開発推進室長を兼務する。公職も多数。岩坪教授が研究代表を務める「J-TRC」は、認知症予防薬の開発をめざす国内最大のオンライン研究参加者募集プロジェクト。研究は東京大学の研究チームが中核となり、学会、全国の医療研究機関、製薬企業、諸外国と連携して進められる。

 

ペールエリック・ヘーグべリ 駐日スウェーデン王国特命全権大使 

二〇一九年秋に駐日大使に着任。在南アフリカスウェーデン大使館一等書記官、スウェーデン芸術評議会国際部課長、スウェーデン外務省アフリカ局局長、駐ベトナム大使などを歴任。スウェーデンでは、二〇一〇年に認知症ケアの国のガイドラインが策定された。ガイドラインでは、認知症の人びとの立場に立った視点を重視する“Person-centred Care” の理念が掲げられるとともに、エビデンスに基づき推奨されるケアとされないケア、質と効果の適切な指標や期待される結果などが示されている。

 

駒村康平 慶應義塾大学経済研究所 ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センター長

少子高齢化社会における社会保障制度改革を研究する。博士(経済学)。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。国立社会保障・人口問題研究所研究員、東洋大学教授等を経て、二〇〇七年より慶應義塾大学経済学部教授(現職)。ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センターは二〇一六年発足。老年学や認知科学、脳・神経科学の成果を取り入れ、認知機能低下で起こる社会問題を研究する。社会保障審議会委員、金融庁金融審議会市場WG委員など、公職多数。『日本の年金』(岩波新書、二〇一四年)ほか、著書多数。

 

前川智明 株式会社エクサウィザーズ Care Tech 部長

株式会社エクサウィザーズCare Tech 事業の責任者。同社は、AIを活用したサービス開発により、産業の革新や社会課題解決を提供する二〇一六年設立の企業。Care Tech 事業では、テクノロジーを活用して、国内どこでも安心にケアが受けられ、健全に歳を重ねられる社会の実現を目指している。AIによる歩行解析や、実際のケアが将来の要介護度の抑制にどの程度インパクトがもたらすかを可視化するAIの開発なども行っている。東京工業大学大学院物理電子システム創造専攻修了。ソニー、ボストンコンサルティンググループを経て、二〇一九年より現職。

 

下河原忠道 株式会社シルバーウッド 代表取締役

株式会社シルバーウッド代表取締役。同社は下河原氏が薄板軽量形鋼造事業で二〇〇〇年に設立した企業。高齢者向け住宅を受注したのを機に、二〇〇五年より高齢者住宅の開発・設計を始めた。同社が運営するサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」は現在一二棟。入居者の自由や自主性を重んじるとともに、高品質なインテリアや建築により上質な環境を実現しており、人気が高い。「VR認知症」は銀木犀入居者の声や体験から着想したプロジェクト。自由な発想で業種の枠を超えて活躍する実業家。一般社団法人高齢者住宅協会理事。

 

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■NIRA総合研究開発機構(Nippon Institute for Research Advancement)

NIRA 総合研究開発機構(略称:NIRA 総研)は、わが国の経済社会の活性化・発展のために大胆かつタイムリーに政策課題の論点などを提供する民間の独立した研究機関です。学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から公益性の高い活動を行い、わが国の政策論議をいっそう活性化し、政策形成過程に貢献していくことを目指しています。研究分野としては、国内の経済社会政策、国際関係、地域に関する課題をとりあげます。

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