科学的分析は政策の質を高めるか
2019.12.10 14:00
信頼ある行政の構築のため、政府はEBPM(証拠に基づく政策立案)を進めている。 EBPM の特徴、その意義と限界を見極めて、適切に社会に根付かせることが必要だ。 EBPM に実効性をもたせるには、いま何が必要か、議論する。
公益財団法人NIRA総合研究開発機構(代表理事会長 牛尾治朗)は、学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から政策提言を行うシンクタンク。政府が推進しているEBPM(証拠に基づく政策立案)。EBPMという手法の意義と限界、実効性をもたせるための課題を議論する。
企画に当たって
何がエビデンスなのか―施策と成果の因果関係を示せ
柳川範之 NIRA総合研究開発機構 理事/東京大学大学院経済学研究科 教授
政策を決めていく際には、単なる印象論や思い込みではなく、科学的な根拠に基づいて、議論を行うことが重要だ。予算配分に優先順位をつける必要性が増大している時代だからこそ、きちんとしたエビデンスに基づいて政策を形成する仕組みを作っていく必要がある。
単に数字を用いて議論すれば良いというわけではない。自分の主張に都合の良い数字やデータを見つけ出して、それをエビデンスだと主張するのでは、科学的なエビデンスに基づいた議論とは言えない。本来のEBPMとは、政策と成果の因果関係をきちんと検証していくことである。
実効性のあるEBPMを実施するために、大きなカギとなるのは、きちんとしたエビデンスをどう集めるのか、ということだ。日本においては、まだまだ、政策決定で有効になりうるエビデンスが不足している。政策の基礎になるデータをすべて「官」が集めなければならないという発想ではなく、民間のデータ、さらに民間の知恵や能力を、もっと活用することが重要だ。
エビデンスとは何か、それに基づいて政策を決定するとはどういうことなのか、国民全体でしっかりと理解が進むことが、より科学的な形で政策が決定されるうえで必要である。
識者に問う
EBPMの意義と限界は何か。
推進のための課題は何か。
「エビデンスを使うインセンティブを設計する」
川口大司 東京大学大学院公共政策学連携研究部 教授
政策形成の現場によっては、統計分析に基づいて政策立案する考え方が実質的に機能していないこともある。エビデンスが政策形成に反映される仕組みをつくらないと、EBPMを推進するインセンティブは働かず、掛け声だけで終わってしまうだろう。
「行政内部と外部のリソースを連携させよ」
小林庸平 三菱UFJ リサーチ&コンサルティング 主任研究員 兼 行動科学チーム(MERIT)リーダー
EBPMの本質は、施策の因果効果を見極めながら意思決定することだ。統計整備やロジックモデル構築に注力しすぎず、政策の効果検証という本来の意義に立ち戻る必要がある。
行政内部の職員だけで進めるのではなく、内外のリソースと連携して推進するべきだ。
「過度な信頼は、逆効果になる場合も」
中室牧子 慶應義塾大学総合政策学部 教授
EBPMは因果関係を明らかにする厳密な方法を採ることが望ましい。相関関係しか確認されない等の、不十分な検証に基づくエビデンスに過度な信頼を置くと、政策に期待した効果が得られないどころか、その政策が逆効果になることすらある。
「EBPM の限界」
マーティン・ハマーズリー 英オープン大学 名誉教授
公共政策を決定する際に、その「根拠」を知ることは重要だが、根拠をランダム化比較試験の体系的評価に限定するのは問題がある。当事者の納得感が得られるか等の政治的な要素、実践上の経験価値や現場判断等も踏まえてエビデンスを勘案することが重要だ。
「官民ともにデータドリブン型への変革が必要」
渡辺 努 東京大学大学院経済学研究科 教授
EBPMが政策決定の現場になかなか浸透しないのは、民間の力を活用していないからだ。今は民間が圧倒的にデータを持っている。民間のデータを利用し、データ分析や統計作成も民間ができるところは民間に任せる。上手に役割分担して、官民でデータ利活用をスピードアップすべきだ。
データで見る 科学的分析は政策の質を高めるか
ランダム化比較試験
「政策の因果効果を明らかにするための方法の一つは、施策を実施した集団と実施していない集団のアウトカムを比較することだ。ここで重要なのが集団の分け方だ。(小林氏)」
ランダム化比較試験は、被験者を、プログラムを受けるグループ(処置群)と受けないグループ(対照群)に分けて、プログラムの効果検証を行う実験方法。ランダム(無作為)にグループ化をするために、コイン、乱数表、くじ引きなどを用いて分ける。
例えば、低所得家庭の子どもに就学前教育を実施する場合、参加申請制にすると、教育に関心の高い家庭が申請する可能性が高い。そのため、グループ間の教育効果の差には、教育の関心の違いによる影響が含まれてしまう。
不十分な検証をもとに実施された更生プログラム
「相関関係しか確認されないことに、過度な信頼を置いて社会全体で実施すると、期待した効果が得られないどころか逆効果になってしまうこともある。(中室氏)」
不良少年の犯罪・再犯を防ぐための更生プログラムが、全米で広く実施されている。そのプログラムは、エビデンスを根拠に実施されたものであったが、その後の実証実験で犯罪抑止に効果的ではないことが判明した。上記のように、複数の実証実験の結果を体系的に評価することの重要性が指摘されている。
注)プログラム実施時に被験者を処置群(プログラム受講)と対照群(受講なし)に分ける際の無作為の度合いの評価。実験者が被験者の属性の情報を知ることなく、被験者を分けている場合は評価A で「十分」、B は記録がなく「不明」、C は「不十分」を示す。
出所)Petrosino A, Turpin-Petrosino C, Hollis-Peel ME, and Lavenberg JG. (2013) “Scared Straight and Other JuvenileAwareness Programs for Preventing Juvenile Delinquency: A Systematic Review” Campbell Systematic Reviews をもとに作成。
国際開発分野におけるインパクト評価(2000-2012年)
「日本では、一部の金融機関でデータ活用が始まっているものの、データドリブン型の意思決定への変革は、官民ともにスピード感に欠けるのが現状だ。(渡辺氏)」
注)インパクト評価の件数は、International Initiative for Impact Evaluation (3ie) のデータベースに登録されている、インパクト評価の報告書の数。グラフは報告書の件数を開発分野ごとに集計し、シェアを示している。件数は開発分野をまたぐ重複を含む。3ie は、2008 年設立のエビデンスに基づいた国際開発を促進する国際NGO。
出所)Cameron DB, Mishra A, Brown AN (2016) “The growth of impact evaluation for international development: howmuch have we learned?”、“3ie ウェブサイト”https://www.3ieimpact.org (2019 年11 月11 日アクセス) をもとに作成。
イギリスにおけるエビデンス活用を促す取り組み:What Works Centre(WWC)のネットワーク
「今後、EBPMを推進していくには行政内部の職員だけでは限界がある。行政の内部・外部のリソースを連携させながら、小規模で簡単なものから具体的な事例を積み上げていくことを始めるとよい。(小林氏)」
WWC:
独立した立場から政策のエビデンス提供を行い、政府にエビデンスの活用を促す団体組織。各省庁や団体から資金の支援などを受けている。2013 年に英国政府が各機関をネットワーク化し、2019 年現在は、主に以下の9 つのWWC がネットワークを構成している。
出所)WWC 各機関のウェブサイトをもとに作成。参照:Guidance What Works Network :https://www.gov.uk/guidance/what-works-network
識者紹介
川口大司 東京大学大学院 公共政策学連携研究部 教授
専門は労働経済学、実証ミクロ経済学。米ミシガン州立大学経済学部博士課程修了。一橋大学大学院経済学研究科教授などを経て、二〇一六年より現職。二〇一七年に設立された東京大学政策評価研究教育センター(CREPE)で副センター長を務め、二〇一九年四月よりセンター長に就任。同センターは、省庁・地方自治体や企業の行う政策や制度を設計・評価する際に必要となる手法を開発したり、人材を育成する。著書に『労働経済学』(単著、有斐閣、二〇一七年)他。
小林庸平 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 主任研究員 兼 行動科学チーム(MERIT)リーダー
専門は公共経済学、計量経済分析、エビデンスに基づく政策形成。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。経済産業省経済産業政策局産業構造課課長補佐などを経て、現職。経済産業研究所コンサルティングフェロー・政策アドバイザーを兼務。総務省統計局「地方公共団体のためのデータ利活用支援サイト」など各所でEBPMの解説を行う。共著書に『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす―社会的損失40兆円の衝撃』(二〇一六年、文春新書)。
中室牧子 慶應義塾大学総合政策学部 教授
専門は経済学の理論や手法を用いて教育を分析する教育経済学。自治体や学校との共同研究により、教育政策の効果測定を実施している。米コロンビア大学博士課程修了。日本銀行や世界銀行での勤務を経て現職。産業構造審議会や規制改革推進会議などで委員を務める。著書『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トウェンティワン、二〇一五年)は発行部数累計30万部のベストセラー。
マーティン・ハマーズリー 英オープン大学 名誉教授
専門は社会学。一九七五年より英オープン大学で教鞭をとり、二〇一五年退官。教育社会学における、調査結果についてのマスメディアの報道に関する実証研究に従事してきた。社会科学の調査の方法論が研究の大半を占める。政策形成におけるリサーチエビデンスの役割は、高い関心を寄せてきた分野の一つ。著書多数。
渡辺 努 東京大学大学院 経済学研究科 教授
専門はマクロ経済学(物価と金融政策)、国際金融、企業金融。ミクロ価格データを用いて日本のデフレの原因を解明する大規模プロジェクトのリーダーを務める。米ハーバード大学Ph.D.。日本銀行に勤務後、一橋大学を経て、二〇一一年より現職。二〇一九年四月より経済学研究科長・経済学部長を務める。二〇一五年に株式会社ナウキャストを創業。同社はビッグデータの解析により物価や消費などの動きをリアルタイムにつかむサービスを内外の金融機関等に提供する東大発のベンチャー。物価を中心に七〇編超の論文を公刊。最新著書 “Property Price Index: Theoryand Practice“ を Springer 社より二〇二〇年春に刊行予定。
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■NIRA総合研究開発機構(Nippon Institute for Research Advancement)
NIRA 総合研究開発機構(略称:NIRA 総研)は、わが国の経済社会の活性化・発展のために大胆かつタイムリーに政策課題の論点などを提供する民間の独立した研究機関です。学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から公益性の高い活動を行い、わが国の政策論議をいっそう活性化し、政策形成過程に貢献していくことを目指しています。研究分野としては、国内の経済社会政策、国際関係、地域に関する課題をとりあげます。
ホームページ:http://www.nira.or.jp/