使う人の視点に立つ「デザイン思考」を適用し、ビジネスの分野ではさまざまなイノベーションがもたらされてきた。 近年、公共セクターにおいても、デザイン思考を政策形成に取り入れるアプローチが注目されている。 その意義と実践の課題について議論する。

 

公益財団法人NIRA総合研究開発機構(代表理事会長 牛尾治朗)は、学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から政策提言を行うシンクタンク。市民の目線で、市民と共に政策形成を行う「デザイン思考」。なぜ今、必要とされるのか。その意義を問う。

 

企画に当たって

デザイン思考で人間中心の政策を―現場でのモデル探しが政策イノベーションを生む

宇野重規  NIRA総合研究開発機構 理事/東京大学社会科学研究所 教授

政策を構想するにあたって、参照すべき「モデル」は見いだしにくくなっている。欧米諸国をモデルに近代化を推進した明治期の日本政府のような、単線的な近代化のイメージは過去のものとなり、課題も解決も多様化し、問題は難しくなるばかりである。本号で紹介する「デザイン思考」は、このような時代にこそふさわしいものだ。

クリスチャン・ベイソン氏は、デザイン思考を「『人間中心』の製品・サービス・ソリューション・体験を作り出すための方法、過程、そして手段」と定義する。これまでの政策形成がデータ収集、分析、合理的な解の発見にあったとすれば、デザイン思考はむしろ政策のエンドユーザーである市民や企業の目線に立つ。その上でアイデアを共に創出し、それを繰り返し実験しながら政策を作り上げる。

多様な商品が溢れる現代において、どれだけ機能的に優れていても、ユーザーが使いたくなるようなデザインのものしか手に取ってもらえない。使う側が、それを使っている自分を想像できて初めて、人は関心を持つ。政策もまた同じである。政策をいかにすれば、住民にとって「使いやすい」ものにできるか。

住民が声をあげ、行政や企業とともに実験を行い、政策を練り上げていくデザイン思考の手法は、住民の参加を促すとともに、行政にとっての新たな発想の源となるであろう。このような手法を通じて政策の現場からのイノベーションを巧みに取り入れる柔軟性と行動力こそが、これからの行政にとっての試金石となるのではないだろうか。

宇野重規 NIRA総合研究開発機構 理事/東京大学社会科学研究所 教授

識者に問う

デザイン思考を政策形成に導入する意義は何か。
実践の課題は何か。

 

「デザイン思考は異なる専門性を統合するプロセス」

クリスチャン・ベイソン デンマーク・デザイン・センター CEO

公共政策において、人びとの多様な立場や異なる専門性を取り込み、統合していくことが求められている。デザイン思考は、「人間中心」、「共創」、「実験的・反復的」の三つを特徴とし、二一世紀の政策形成に重要な貢献をもたらす位置にいる。

クリスチャン・ベイソン デンマーク・デザイン・センター CEO

 

 

「市民の目線に立ち、市民に届く政策をつくる」

奥村裕一 一般社団法人オープン・ガバナンス・ネットワーク 代表理事

デザイン思考とは、市民に届く政策とは何であるかを、市民とともに、「共感」を軸に据えて考えていくことだ。実践に向けて、まずは、イギリスで実践されているような政策ラボをつくって実験を行い、その結果を国民や市民が共有することが必要だ。

奥村裕一 一般社団法人オープン・ガバナンス・ネットワーク 代表理事

 

「試行することこそが、考えること」

長谷川敦士 株式会社コンセント 代表取締役、武蔵野美術大学大学院造形構想学科 教授

予測不可能な「VUCA」の時代には、試しに何かをやってみて、何が有効かを見定める仮説を導出するのがよい。デザイン思考の本質的な考え方である。制度施行の前に、まずは試案をつくり、政策のユーザーである市民や企業の反応をみて、試案の手直しを繰り返す。

長谷川敦士 株式会社コンセント 代表取締役、武蔵野美術大学大学院造形構想学科 教授

 

「市民の価値観や想いを引き出す仕組みが必要」

佐宗邦威 株式会社BIOTOPE CEO/チーフ・ストラテジック・デザイナー

成熟した社会では、多様な個人が感じる幸福をどう提供していくかが問われる。市民の価値観や想いを可視化して、それを行政が意思決定に生かすための仕組みづくりが必要だ。北欧やイギリスがつくっている政策ラボのやり方は、日本でも参考になるはずだ。

佐宗邦威 株式会社BIOTOPE CEO/チーフ・ストラテジック・デザイナー

 

 

「県民への共感に基づいた政策をどう作るか」

澤田有希子 Policy Lab. Shiga(滋賀県)

Policy Lab. Shigaは、滋賀県庁の若手職員有志による、デザイン思考を取り入れた業務外の政策研究プロジェクト。「県民の本音」を起点にし、「県民の深い理解や共感」に基づいた政策をどう作っていくか。県民とともに議論を重ね、2018年8月に、滋賀県知事に政策提言を提出した。    

澤田有希子 Policy Lab. Shiga(滋賀県)

 

デザイン思考の導入で、政策形成はどう変わるのか。視点:供給者目線→当事者目線、起点:データ分析→共感、政策形成:トップダウン→市民と共創、プロセス:立法→立法前に実験

 

データで見る デザイン思考で人間中心の政策を

デザイン思考の構成要素

 

 「人間中心」の政策形成とは、政策の対象となる人に対する共感に価値を置くものである。論理からではなく、感情から寄り添うために、五感を通して問題の根本的原因は何かを理解する。これは、「エスノグラフィックリサーチ」といわれる定性的な調査手法だ。また、デザイン思考は「共創」のプロセスをたどる。さらに、「実験的」そして「反復的」な手段を使う。(ベイソン氏)」

「 「共感」を重視するデザイン思考では、実際に政策の対象となる人の立場になることで、データだけでは把握できない問題を発見する「エスノグラフィックリサーチ」と呼ばれる手法が使われている。例えばホームレスなど当事者の話に耳を傾け、生活の現場を実際に観察し、当事者と一緒に時を過ごす。共同生活までは難しくても、政策の対象となる人物像を入念に描くーペルソナづくりーを行って、政策立案者が想いを馳せる。(奥村氏)」

デザイン思考の構成要素 人間中心主義 共感 共創

 

EUラボ内で活動する政策ラボの、政策課題別プロジェクト数(2016年)

 

北欧やイギリスは、政策ラボのような中立的な組織を作っている。そうした組織がワークショップを開催し、市民、企業、自治体などをつなぐ場を形成して、デザイン思考を実践している。(佐宗氏)」

「イギリスのキャメロン政権(当時)は、デザイン思考を実施する政策チームである「ポリシーラボ」を政府部内に設置した。政府の財政難を背景に、どうすれば限られた予算でも、国民・市民に届く効果的な政策をつくれるのかという問題意識から設けられた。(奥村氏)」

EUラボ内で活動する政策ラボの、政策課題別プロジェクト数(2016年) 公共セクターのイノベーション25、ヘルスケア24、仕事と経済24、デジタル経済とプライバシー12、エネルギー・資源リサイクル / 廃棄物8、交通と移動8、その他9

注1) グラフの数値は、各政策ラボが扱うテーマごとに集計したもの。
注2) 「仕事と経済」は、「仕事と経済成長」と「地域経済の振興」を合計したもの。「その他」は、「教育と文化」、「移民とその社会的統合、人道支援」、「財政と税金」を合計したもの。
出所) M Fuller, A Lochard(2016)“Public policy labs in European Union member states,” EUR 28044 EN; doi: 10.
2788/799175 をもとに、NIRA 作成。

 

「デザイン思考」4つの成功事例-ダブルダイヤモンドの枠組で考える

 

「市民の価値観や想いを、行政が意思決定に生かすための仕組みづくりが必要だ。市民が声を上げる方法も、もっと可視化されるほうが良い。(佐宗氏)」

「新しい制度を施行する前に、まずは、政策のユーザーである市民や企業にとって、意味のある制度にするための試案をつくり、試してみる。(長谷川氏)」

「「県民の本音」を起点にし、「県民の深い理解や共感」に基づいた政策をどう作っていくか、県民と共にワークショップや議論を重ねてきた。浮き彫りになったのは、滋賀で暮らす若者のしんどさや、地域との距離感に対する戸惑いだ。(澤田氏)」

 

「ダブルダイヤモンド」はデザイン思考のためのフレームワーク。議論の発散、収束の過程をダイヤモンドの形に喩たとえている。
発見(discover)、特定(define)、開発(develop)、実践(deliver)の4 段階で構成される。

デザイン思考」4つの成功事例-ダブルダイヤモンドの枠組で考える: <当事者との対話から、課題を特定した事例>「認知症支援」プロジェクト(英ケント州2011–2015)・「家庭内暴力(DV)削減」プロジェクト(米NY 市2018–)、<実験・検証から知見を得た事例>「ホームレス防止」プロジェクト(英国2016–2017)・「貧困世帯への福祉サービスの紹介」プロジェクト(米NY 市2017–2019)

出所) Social Innovation Lab Kent (SILK), Dementia Programme.、Public Policy Lab, SHELTER FROM HARM., PUBLIC BENEFITS
ACCESS.、UK Policy Lab, Homelessness Prevention. などをもとに、NIRA 作成。

識者紹介

クリスチャン・ベイソン デンマーク・デザイン・センター(DDC)CEO

デザイン思考を用いて組織の成長や経営課題解決を支援する、デザイン企業DDCの代表。DDCは、国の資金で設立された独立的組織。二○○七年から二〇一四年まで、デンマーク中央政府イノベーションチーム「MindLab」の代表を務め、現職。コペンハーゲンビジネススクールでPh.Dを取得。デンマーク王立美術院、EU、世界経済フォーラムなど、国内外で数々の外部団体に所属し、世界各地で大学講師や政府機関のアドバイザー、講演者としても活躍。『Leading public design: Discovering human-centred governance』(Policy Press, 2017)など、著書多数。

 

奥村裕一 一般社団法人オープン・ガバナンス・ネットワーク代表理事 

オープンガバナンスの日本での普及を目指し、研究や助言を通じて積極的に活動。欧米の電子政府に対する深い知見を持つ。一九七一年に東京大学教養学部教養学科を卒業し、通産省(当時)入省。退官後、経済産業研究所、京都大学教授、東京大学特任教授、ハーバード大学ケネディスクール客員研究員、東京大学公共政策大学院客員教授などを経て、二〇一九年より現職。論考に「オープン(ガバメント)データ」(『ジュリスト』一四六四号、二〇一四年)ほか、訳書、寄稿多数。

 

長谷川敦士 株式会社コンセント代表取締役、武蔵野美術大学大学院造形構想学科教授

「わかりやすさのデザイン」である情報アーキテクチャ分野の第一人者。二〇〇二年に株式会社コンセントを設立し、企業サイトやウェブサービスなどのUXデザインを手がける。デザインの社会活用、デザインを通じた社会システムの構築を研究し、最近では日本企業や行政でのデザイン教育についても研究と実践を行う。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。Service Design Network 日本支部共同代表。人間中心設計推進機構副理事長、『デザイン組織のつくりかた』(メルホルツ&スキナー著、ビー・エヌ・エヌ新社、二〇一七年)をはじめ、著書や監訳書多数あり。

 

佐宗邦威 株式会社BIOTOPE CEO/チーフ・ストラテジック・デザイナー

大企業から老舗企業まで、さまざまな企業を顧客に、サービスデザインプロジェクト、イノベーション文化の創造を提案。P&Gにて数々のヒット商品のマーケティングを手掛け、ソニーにて新規事業創出プログラムの立ち上げに携わった後、「共創型戦略デザインファーム」BIOTOPEを設立。東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修士課程修了。著書に『21
世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング、二〇一五年)ほか。

 

澤田有希子 Policy Lab.Shiga(滋賀県)

滋賀県職員。現在、道路課に所属。Policy Lab. Shiga (PLS)は、滋賀県が人口減少局面を迎え、県政に変革が求められるなか、デザイン思考の有効性について言及した滋賀県三日月大造知事の発言に呼応する形で、二〇一七年に設立。澤田氏は、知事への提言に関わったPLSメンバーの一一名の一人。提言後、PLSは解散したが、デザイン思考を活用する「人生一〇〇年ワクワク検討タスクフォース」など、県庁組織としての取り組みが始まっている。澤田氏も、デザイン思考の政策研修の講師を務めるなど、精力的に活動を継続している。

 

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公益財団法人NIRA総合研究開発機構
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■NIRA総合研究開発機構(Nippon Institute for Research Advancement)

NIRA 総合研究開発機構(略称:NIRA 総研)は、わが国の経済社会の活性化・発展のために大胆かつタイムリーに政策課題の論点などを提供する民間の独立した研究機関です。学者や研究者、専門家のネットワークを活かして、公正・中立な立場から公益性の高い活動を行い、わが国の政策論議をいっそう活性化し、政策形成過程に貢献していくことを目指しています。研究分野としては、国内の経済社会政策、国際関係、地域に関する課題をとりあげます。

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