芸能生活25周年を迎えた元宝塚トップスターの 松戸観光特別大使・北翔海莉さんが松戸市長を表敬 ~宝塚歌劇団でのかけがえのない経験と故郷・松戸への想い~

北翔海莉さん
写真提供:北翔海莉事務所

 元宝塚歌劇団星組のトップスターで、今年芸能生活25周年を迎えた松戸市出身の北翔海莉(ほくしょうかいり)さん。松戸観光特命大使も務める北翔さんが、2023年7月11日、松戸市制施行80周年をお祝いするため、市長を表敬訪問しました。中学生まで生活していた故郷・松戸市への想い、宝塚時代も含めこれまでの芸能生活を振り返ってもらったインタビューをご紹介します。
※記事の内容は2023年7月11日時点の内容です。

中学の先生が宝塚入りをすすめてくれた
 松戸市の矢切地区で生まれ育ち、小学生の頃は「野菊の墓文化碑」周辺でよく遊んでいたという北翔さん。草だんごやところてんを食べに矢切の渡しで柴又(葛飾区)へ行っていたという、小学生にしては渋い(本人談)エピソードも教えてくれました。そんな北翔さんは、1996年に地元・松戸を離れて宝塚音楽学校へ入学し、その2年後には84期生として宝塚歌劇団へ入団します。宝塚への道を目指すきっかけをくれたのは、中学3年生のときの担任の先生だったと教えてくれました。「宝塚歌劇を見たことがなかったのですが、担任だった上條貴志子(かみじょうきしこ)先生に『あなたは背が高いから、宝塚という道に入るのもいいんじゃない』と言われたんです。すでに進学する高校も決まっていたのですが、『受からないと思うけど、挑戦してみたら』と背中を押してもらい(笑)、宝塚音楽学校を受験したんです」

写真提供:北翔海莉事務所

 宝塚音楽学校は定員40人に対して、毎年1,000人前後の応募があるといいます。上條先生が受からないと思うと言ったのも当然かもしれません。しかし、北翔さんは狭き門を突破して見事合格を手にしました。そして音楽学校本科生(2年生)になったとき、北翔海莉という芸名をつけます。「芸名は、父が海上自衛官だったこともあり、海上自衛新聞で募集することになったんです。そこで50通を超える応募をいただき、その中から『北翔』という姓を採用させていただきました。決め手は、私が生まれたとき、父が青森県沖の海の上を飛んでいたというエピソードがあったので。北の海の上を羽ばたくという意味があり、とても運命的なものを感じました。海莉という名前は、体的には堅くて男らしい感じもあるのですが、海の字を入れたいという思いと、美しい女性という意味の莉を使うことで優しい響きになるということが決め手でした」

宝塚歌劇団史上3人目の全5組出演を達成
 宝塚歌劇団は、花組・月組・雪組・星組・宙組と5つの組に分かれており、1組70~80人での構成になっています。北翔さんは1999年に月組へ所属。そこで経験を積み、2003年に3作連続新人公演主演を務めることとなり注目を集めました。その後、宙組へ組替えとなり、2012年には歌やダンス、芝居など秀でた能力を持つ人が集まる専科へと移動します。ここで、宝塚歌劇団史上3人目となる全5組の舞台出演という快挙を成し遂げます。「各組の公演に出演させていただき、5組のトップスターによる現場の違い、上に立つ人によって団員たちが変わることを体験できたのはとても大きかったです」。5組の舞台を経験したことで、下級生のタカラジェンヌの目線で現場を見たと言います。そして、彼女たちの魅力をいかに引き出せるかというのが、トップに課せられた責任の1つという、組織の中での考え方が勉強できたと教えてくれました。
 専科での実績も認められた北翔さんは、2015年に星組へ移動しトップスターへ。入団から18年目という遅咲きのトップ就任でした。

写真提供:北翔海莉事務所

25周年記念公演は初の家族出演に!
 2016年11月に宝塚歌劇団を退団。その後は舞台を中心に芸能活動を続けてきました。そして25周年を迎える2023年9月に大阪と東京で「THE北翔まつり」と題した記念公演を開催します。1部がお芝居、2部がショーという構成となり、この公演には夫の藤山扇治郎(ふじやませんじろう)さんが出演するほか、3歳になる長男の美治(よしはる)さんが初お目見えとなるそうです。「人前でできるのか正直、不安しかありません(笑)。まだ3歳なので、18時30分の公演時間に起きているかどうかもわからないという点も心配ですが……」

写真提供:北翔海莉事務所

 節目となる舞台が間近に迫っている中、北翔さんの口から「25年目ということで、このまま舞台を続けられるか…」と思いがけない言葉がありました。その気持ちを払拭したのが、夫やファンからの励ましだったそうです。「夫からは『舞台に立つ北翔海莉を見たい』といつも言われ、ファンの方からは、『みっちゃんの舞台を見るのが生きがい。それまで、足腰を鍛えて行くわ』という言葉をいただき、まだまだ頑張ろうと思ったんです」。今回の舞台は初の家族出演ということもあり、ありのままの姿を多くの人に見てほしいと言います。第1部はお芝居で、第2部のショーでは宝塚歌劇団時代にはあまり歌わなかった名曲や殺陣なども披露される予定です。北翔さん自身も「これまで培ってきたものをもう一度鍛えなおし、諦めないでチャレンジしている姿をお届けしたいです」と意気込みを語ってくれました。

9月に初舞台を迎える長男・美治さん

東京公演中は松戸の実家に顔を出します
 今回、家族3人で市役所を訪れた北翔さん。故郷・松戸の魅力を聞くと「生まれ育った矢切地区は、畑や森林も多く、空気がおいしいところで、静かで過ごしやすいし住みやすい」と答えてくれました。夫婦揃って東京での舞台出演が多いため、東京滞在中は松戸の実家に顔を出しているそうです。息子さんとよく公園へ散歩に行ったり、実家の近所にある飲食店にもよく足を運んでいると教えてくれました。「東京外環自動車道松戸ICの上の部分は開放された公園になっていて、そこから見える江戸川と東京スカイツリーの景色が素敵なので、よく息子と行っています。また「お菓子工房ポニー」もよく利用します。「肉のあつみ」さんも大好きで、特におすすめしたいのがカツサンド。舞台の楽屋に差し入れとしても持って行きますが、大好評です」

左から夫の藤山扇治郎さん、北翔さん、本郷谷健次市長

子育て環境充実の松戸をもっとPRしたい
 2012年に初の松戸観光特命大使に就任してから11年の歳月が経ちます。この間、「まつど観光フォトコンテスト」の審査員を務めるなど、大使としても積極的な活動を行って松戸の魅力を伝え続けています。「本当に素晴らしい写真ばかりで審査員は責任重大ですが、私が選んだ写真が入賞することも多いので、自分でも見る目があるのかなと思ったりもしています (笑)。また、講演会に出演させていただく際には、おすすめの観光スポットをはじめ、松戸市についてたくさん情報発信をさせていただいているので、今後も松戸の良さを多くの人に知ってもらえればと思います」。

今後も大使として松戸の情報発信をしていきたいという北翔さん

 住みやすさだけでなく、子育ての環境もいい場所だという北翔さん。「穏やかな住宅環境はもちろん、子ども食堂や託児所など、手厚いサービスが充実していますね。松戸市は託児施設にも力をいれていますので、共働きの家庭にはとても助かると思います」
 託児施設だけでなく、「21世紀の森と広場」をはじめ小さな子どもが遊べる場所も豊富にあるのが松戸市の魅力だとも語ってくれました。そして「今のままでも十分だと思いますが、私自身も結婚し、子育てしながら芸能活動を続けている立場として、子育て世帯や共働きの夫婦へのサービスが、もっともっと充実したら、より魅力的になると思います」

表敬訪問の際、取材に対応する北翔さん

芸能界での松戸市代表として挑戦を続ける
 松戸市には、北翔さん夫婦が共演したことのある松戸市文化会館「森のホール21」があります。「音響がとても素晴らしくまた歌いたいと思わせてくれるホールです」と北翔さんも太鼓判を押してくれました。また、北翔さんの母校松戸市立第二中学校をはじめ、音楽系部活動が活発な学校が多く優秀な成績を収める学校が多いことから、「芸術面でも素晴らしい場所ということも全国の皆さんに知っていただきたい」と話してくれました。
 松戸市出身で、宝塚歌劇団のトップスターにまで登り詰めた北翔さん。目標を成し遂げた先輩として、今、目標へ向かって頑張っている中高生へアドバイスを送ってくれました。「小さい頃は、海上自衛隊のパイロットになりたかったんです。でも、中学生時代の恩師のひと言で人生が大きく変わりました。そして宝塚で出会った恩師の方々が今の私を作り上げてくださいました。チャンスはたくさん転がっているものだと思うので、すべてに対してアンテナを張って、人とのコミュニケーションの中で自分の未来を広げてください。人生は出逢いで決まると思うので」

家族3人でインタビューに答えてくれた北翔さん

 最後に、市民の皆さんへのメッセージをいただきました。「松戸市は吹奏楽をはじめとする芸術面でも力がついてきている市です。その出身者として、私自身もまだまだ挑戦をし続けることを忘れず、芸能分野においての松戸市代表という気持ちを持ち、恥じないように頑張りたいです。また、子どもをもつ母親として、仕事との両立で頭を悩ませている方も多いと思いますが、自分の姿を通して、働く母としての楽しさを伝えていければと思います」